ネギま!でわかろう三国志!
第一回 〜三国志って何やねん〜
「と、いうわけで始めるぞ」
「いきなりすぎるわよ!」
「筆者の存在そのものが行き当たりばったりのいきなり型だ、仕方ない」
「どんな理屈よ?!」
「まぁまぁ、ええやんアスナ〜、なんやおもろそうやし」
「あ、あのねぇ・・・・・・」
「ええい、うっとうしいわぁ――――――――ッ!!!」
スパコォーン!!!
「ふぎゃっ?!」
「やるといったらやるのだ、つべこべ言うんじゃない! そんなだからいつまでたってもバカレンジャーだし脱がされまくるしタカミチにも振られるんだ!」
「高畑先生のことに触れるな――――――――ッ!!!」
スッパァ――――ン!
「もぺろっ?!」
「まぁまぁ二人とも、そろそろ真面目にやろうな。 でないと呪うで?」
「んなっ!?」
「ちょっ、こ、木乃香、呪うって!?」
「え? ちゃうちゃうアスナ、“呪う(のろう)”やなくて“呪う(まじなう)”や。 はよやってくれなお呪いして時間潰しとくでってこと」
「あ、ああ、そう・・・・・・」
「まぁでも、あんまりふざけとったらどっちの読みになるかわからんけどな♪」
「ヒィッ?!」
「さ、さっさとやるか(汗) まぁとにかく、第一回の今回は『そもそも三国志とは何なのか?』というところから話していこうと思う」
「何なのかって・・・三国志は三国志でしょ? よく知らないけど」
「うちもよぉ知らんな〜、でもアレやろ? たしか中国が3つの国に分かれた時代のお話やろ?」
「基本的な認識としては木乃香の認識で問題ない。 だがしかし、世間一般で言う三国志とは正確には三国時代の歴史とは違うものを指すのだ」
「何それ?」
「どーゆーことなん、エヴァちゃん?」
「うむ、できる限りわかりやすく話を進めよう。 今現在私たちが眼にすることのできる三国志、および三国時代をモチーフとした小説・ゲーム・漫画などは大抵“三国志演義”というものを基本にしている」
「三国志・・・えんぎ?」
「うむ。 これは14世紀に羅漢中という人物が、そもそもの三国時代の歴史書“三国志正史”に記された内容や思想(義)をわかりやすく説明(演)したものだ」
「なるほろ〜。 つまり、三国時代の歴史の説明の本なんやね?」
「うんにゃ」
「ちょっと?!」
「歴史書としての三国志正史についての説明であれば、4世紀〜5世紀の人物、ハイ松之が詳しい注釈をつけている。 現在一般的には、三国時代の『正史(当時の王朝が認めた歴史書)』というのは、正史そのものに加えて、このハイ松之の注釈をあわせたものを指す」
「じゃあ、この『三国志演義』ってゆーのは、一体何なん?」
「うむ。 その前にちょっと質問だ。 14世紀の中国の王朝名は? ホレ、答えてみるがいい神楽坂明日菜」
「へっ?! え、えーとえーっと・・・・・・ちゅ、中華民国?」
ズルッ
「アホが――――――――ッ!」
「あ、明日菜、それはさすがに、ちょっと、痛いで・・・・・・」
「ほっときなさいよっ! うわぁ――――ん!」
「馬鹿はとりあえずほっといて。 14世紀の王朝といえば明だ。 この頃になると中国では四大奇書と言う小説が作られるが、『三国志演義』はそのひとつだ。 他の四大奇書では『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』というのがある」
「おお〜、ビッグネームやな〜」
「最後のひとつ以外は日本でも馴染み深いものだな。 ちなみに『金瓶梅』は西門慶という商人の色と欲の行状記だそうだ」
「ろくなもんじゃないわね・・・・・・・」
「まぁ、大衆娯楽だからな。 今の昼ドラみたいなもんだったんだろ、他のは全部時代劇と特撮ヒーローの合体みたいなもんばっかだし」
「エライたとえ方やなー」
「実際もそんなもんだぞ? ほとんど無能な奴の下に虎と素手で殴りあうような奴やらが集まって国に刃向かう話とか坊さんが猿と河童と豚連れてインドまで行く途中の妖怪をぶちのめす話とか、挙句の果てが“ひとりで一万人の兵士に値する”とか言われるような連中がわんさか出る時代物とか」
「歴史的文学作品をそこまで貶めるなっ!」
「アスナ、カンペ見ながらゆうても説得力ないで〜」
「バラさないでよ、木乃香!」
「はいはいわかったから、先に進めるぞ。 つまり、『三国志演義』は歴史を基にした娯楽小説として書かれたものなわけだ」
「今の時代小説と同じなんやね〜」
「まぁな。 で、それがあまりにも人気だったために日本にも伝わり、なんと江戸時代に『通俗三国志』という完訳本が出版された。 ちなみにこれは日本で外国の書物が完全に翻訳された最初のものだそうだ」
「な、なんかすごそうね・・・・・・」
「すごそう、やなくて、すごいんよ、アスナ」
「まぁ、書物なんかが比較的完全な状態で取引できるような時代になった、というのもあるんだろうがな。 そしてそれ以降も、三国志は様々な作家によって書き次がれていくのだが・・・・・・」
「だが?」
「あまりに『三国志演義』ベースのものが広まりすぎて、本来フィクションである『三国志演義』の内容が歴史的事実と勘違いされてしまうことが多くなったんだ」
「ありゃりゃ〜」
「本末転倒ね、それ」
「まぁ、全部が全部嘘っぱちってわけじゃないがな。 問題なのは、実際の人物と『三国志演義』での人物のイメージとで激しいギャップが生まれてしまったことか」
「イメージのギャップ?」
「一番わかりやすいのは劉備だ。 『三国志演義』では仁徳に溢れる寛大な君主、漢帝国創立の英雄劉邦の再来などと書かれているが、実際はとんでもないヘタレ野郎だ」
「えらい違いね」
「でも、そんなヘタレやったら英雄みたいに書かれたりせぇへんのとちゃうの?」
「普通はな。 だがしかし、劉備は英雄というにふさわしい臣下になぜか恵まれていた。 劉備死後の蜀をほぼひとりで支えぬき、臣下として命を燃やし尽くした諸葛亮、劉備挙兵時から付き従い続けた豪傑である関羽と張飛、敵軍の圧倒的な包囲の中を単騎駆け抜けて後継たる劉禅を救い出した趙雲、他にも活躍した臣下を上げればキリがないほどだ」
「なんか、凄そうっていうか凄い人ばっかりね」
「ん〜と、つまり劉備は部下のおかげでえらくなれたん?」
「むしろ部下に立ててもらってなんとか頭の位置にいた、って感じだな。 ヘタレとは言ったが、それでもどこか人をひきつける人間だったらしい。 若い頃から劉備のもとにはいろんな若者が集まっていた。 劉備本人は勉強が嫌で贅沢なカッコをしたり綺麗な音楽聴きながら綺麗なねーちゃんといちゃつくのが大好きだったみたいだが」
「ダメ人間じゃない!」
「まぁ、そうは言ってもこの時代にはこんな“学はないけど頼りがいのあるアニキ”的な存在はあちこちにいたんだ。 今で言うヤのつくご職業の人みたいなもんだ」
「そんなこと言うて大丈夫なん?」
「ぶっちゃけドッキドキだ。 まぁそれはさておき、そんな兄貴分として担がれていた劉備がいつの間にやら有能な臣下に囲まれて国まで持ってしまった、というのが劉備という人間の実像だといっていいだろう」
「棚からぼたもち、って奴?」
「さすがにそう簡単でもなかったけどな。 まぁこれは後々触れていくことにしよう。 だがそんなヘタレでも周りにいた奴が必死で頑張ればさすがにそういった部下を大事にする。 劉備の場合、自分がたいしたことないのはわかってるしな。 で、その部下達の頑張りと劉備の掲げた大義名分を元にして書かれたのが、『三国志演義』という小説なわけだ」
「大義名分って、どんなんやったん?」
「漢室再興王政復古、つまり滅んだ漢王朝を漢王家の血を引く自分が再び復活させるというものだ」
「王室の血を引くって・・・すごい名門じゃない!」
「そやそや、なんでそんなヘタレな人やったん?」
「うむ、たしかにちょっと聞いただけではそう思うだろうな。 ここで言っておきたいのが、中国の倫理観のひとつである『何があろうと自分の家の血は絶やすな』ということだ」
「何よソレ」
「古来中国においてもっとも恥とされていたのは、『自分の代で先祖代々続いていた血統を絶やしてしまう』ということだったんだ。 なので一夫多妻は当たり前だし、子供だってありえないくらい産みまくっていた。 劉備のライバル・曹操なんかは正室側室あわせて名前が記されたりしているだけで25人もいた」
「多っ!」
「さらに、だ。 劉備が漢王室の末裔だとして挙げたご先祖の名前が前漢・景帝の子、中山靖王劉勝だというんだが、この劉勝、あきれるほどにハッスルしまくって作った子供がなんと百二十人」
「うひゃ〜!」
「作りすぎよ、いくらなんでも!」
「エロゲの主人公も真っ青だな。 こんなに子供がいればそりゃどっかで落ちぶれる奴もいるだろうよ。 劉備はまさにその落ちぶれた奴の子孫だと名乗ってたわけだ」
「すごいんだか、情けないんだか・・・・・・」
「すっごい微妙やな〜」
「しかもはっきりわかってる先祖が400年くらい前の人間だからな。 ぶっちゃけ名目だけの飾りと思って差し支えない。 だがそれでも一応それで名目は立つ。 それを利用して世渡りをしていくのが劉備だ」
「どこまでもヘタレね・・・・・・」
「少し長くなったな、そろそろまとめよう。 つまり、『三国志演義』というのは“大して強くはないけど人をひきつける劉備と、その劉備を命がけで支える部下達が、滅亡した漢王朝を復活させようと戦っていく”という物語なわけだ」
「なるほろなるほろ〜」
「そしてその劉備の最大にして最強のライバル曹操、江南という地方で地盤を築き上げた地方豪族の長孫権。 この二人の国、『魏』と『呉』が劉備の『蜀』と如何にかかわり、如何に戦っていくか、という大乱世の時代を書いた一大歴史ロマン、これこそまさに『三国志演義』だったのだ」
「・・・それはわかったけど、それのどこがどう問題なのよ」
「前にも言ったが、『三国志演義』という小説の主人公となるために劉備は美化された、いやされすぎた。 その美化されたゆがみをごまかすためにある合戦ではいないはずの劉備・関羽・張飛が大活躍したり、逆にいるはずの合戦でいなかったり。 あるいは生涯負け続けた劉備の敗因に、劉備の仁徳を優先する人格からやむを得ず負けた、という風にしてみたり」
「何その耐震強度偽造みたいなやり方」
「よくわからんたとえを使うなバカレンジャー。 このごまかしのために一番割を食わされたのはライバルだった曹操だ。 『三国志正史』においては“破格の英雄”とまで表現されているような一代の傑物なのに、劉備を美化したせいで無理に悪役を回されてことさら悪い部分ばかり言い立てられたりしてしまった」
「ありゃりゃ、災難やな〜」
「全部が全部悪く言われたわけではないが、悪役のイメージがついたのは『三国志演義』が原因だと言って間違いないだろう。 最近は某一騎当千ACTゲームや講談社から出版されている『蒼天航路』(全36巻、王☆欣太先生著)によって大分悪役一辺倒のイメージからは改善されているとは思うが」
「ゲームはともかく、漫画のほうってそんなにメジャーじゃない気がするんだけど」
「筆者が大好きだから仕方ない。 といっても、漫画だから創作の部分も多いし人物の解釈もはっちゃけてるところがあって面白いし、それでいて『演義』ではなく『正史』よりで書かれているから『コレは知らなかった!』というようなことも結構あるので、興味のある方は是非一度読んでみてほしい」
「宣伝はいいから」
「うむ。 とにかく、『三国志演義』によって劉備=正義、曹操=悪、という構図が確立されてしまった。 歴史的には曹操が勝者であったにも関わらず、だ」
「ほえ? どうゆうことなん?」
「それは三国のそれぞれの領土による。 曹操の『魏』はもっとも豊かで広大な華北を制圧し、孫権の『呉』は長江という天然の防壁があったものの、領内の山岳地帯の多さとそこに住む少数民族に手を焼き、劉備の『蜀』にいたっては領内のほとんどが交通すらままならない山岳地帯だった」
「なんかえらい差みたいやなぁ〜」
「どえらい差だ。 魏・呉・蜀の国力比は6:3:1、人によっては7:3:1とまで言われるほど圧倒的に魏が他の二国に比べ勝っていた」
「勝ち目がないじゃない!」
「うむ、国力だけの単純勝負ではな。 だがこの時代には数多くの英雄豪傑が現れた。 曹操はもちろん、劉備も孫権もそういった人物を縦横無尽に用いて領土を奪い、守り、戦った。 そういった英雄豪傑の武勇と知略で圧倒的な兵力差を埋めたような戦いもいくつもあった」
「どこのガンダムよ・・・・・・」
「仮面ライダーかもしれへんで、明日菜」
「アホか――――っ!」
ズパコォーン!
「むぎゃっ!?」
「うひゃあっ!?」
「まったく、これだからバカと天然は。 さらに、有名な『天下三分の計』によって蜀と呉が同盟し魏に当たる、という態勢が続く以上、魏は弐正面作戦を強いられることになり、戦力の分散は避けられない。 まして、呉には魏の精鋭が体験したこともない波と流れの長江という天然の防壁があったし、蜀はその険しい山岳地帯が蜀の国を天然の要塞としていた。 こういった付加状況を加味すると、三国のパワーバランスはほぼ拮抗してどれかを滅ぼすというのは極めて難しい状況となる。 こういった状況もあいまって、三国時代は英雄豪傑が縦横無尽に暴れまわる、とても魅力溢れる時代として語り継がれていくのだ」
「へぇ〜・・・・・・」
「おっと、ちょっと話が逸れすぎたな。 曹操の優位性について話を戻そう。 三国のパワーバランスが拮抗しているとはいえ、最大の領土を誇り、かつ中国文化圏の中枢である華北を握った曹操の圧倒的有利に変わりはない。 中国特有の『中華思想』という考え方からすれば、漢によって中央集権体制の一部となったとはいえ、呉や蜀の地域はまだまだ夷蛮、つまり文明に劣る野蛮な地域とみなされても仕方ない地域だった」
「ありゃりゃ」
「つまり、曹操は領土的にも文化的にももっとも恵まれた地域を押さえた。 三国時代が終焉を迎えるときに魏は司馬氏の簒奪を受け『晋』に変わるが、晋が三国を統一できたのも華北の広大な領土あればこそだ」
「そやけど、『三国志演義』は魏を悪者にして、蜀を主人公にしたんやね?」
「ああ。 これは劉備よりも丞相・諸葛亮の影響だろうな。 圧倒的な国力差、劉備死後欠乏する人材、自身も激務によって健康を蝕まれ、絶望的な状況でありながらも劉備の悲願・漢室復興を達成するために魏との戦い――――『北伐』に赴く忠臣としての姿が人々の心を打った」
「うう、たしかにかっこいいかも・・・」
「たしかに小説の主人公にはうってつけなシチュエーションだし、何より諸葛亮自身の人格も卓抜していた。 だがしかし、小説という“娯楽のための読み物”とするときに歴史上であったことだけでは物足りないと、ここでも様々なごまかしや飾りつけが行われた。 それによって三国志は中国はおろか日本でも愛され、広まることになったのだが・・・」
「なったのだが?」
「ここではあえて演義主体ではなく正史主体で三国志を読み解いていきたいと思う。 筆者自身が未熟者だし資料も乏しいからどこまでいけるかはわからないが、できる限りわかりやすくおもしろく、演義と正史の違いに着目しつつ解説していくつもりだ」
「・・・大丈夫なの?」
「出来る範囲でじっくりと、だ。 そんなに細かいところまでやる必要もないから、主要な合戦と、その前後の政治的抗争なんぞに触れる程度に済ます。 それ以上やると筆者が死ぬ」
「大丈夫なんかな〜」
「ま、やるだけやってみるさ。 今回はこれまで! 次回をお楽しみにな!」
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